どうやら世間では、「継続」という言葉を「鍛錬」であったり「我慢強さ」のような固いイメージ抱えている人も多いようだ。まるで「崩れたらまた1からつくらなければならない」ようなイメージを持っているとも言える。
勿論物事を継続するうえで掴むイメージは人それぞれにあるが、そのイメージに是非つけ加えてほしいものがある。
人生で自分そのものを語る無くならないエネルギー源「経験値」
一度身につけると中々落ちない感覚”経験値”。
これを記事冒頭で言ったイメージに加えて頂きたい。
継続するうえで鍛錬であろうが、我慢しなければならない境遇だろうが、人間には「経験値」として人生に記憶される。
この「経験値」。
続けていくうえでも、挫折という場面でも行動するうえで最も大事となってくる核みたいなものだ。
言い方を変えれば「センス」のようなものである。
更に現代では継続すればする程、多くの人から応援されやすい環境となってきている。
だからこそ、この記事のタイトルにもある「やめたら意味がなくなる」という事が、まず起きにくい。もしも続けてきた事に対して意味がなくなっているのであれば、それは「自ら意味をなくしている」と言ってもいいのかもしれない。
「継続」は経験という名の資産
例えば「筋トレ」を継続する事で筋肉が強化できて理想的な身体を目指せたり、目標とする重量を挙げる事ができたり様々なシーンでステップアップできていく。また、先ほどにもでも言った「経験値」が確実に身についている。
筋トレをやめる事で例え筋肉が落ちたとしても「経験値」があるので、その人にとって結果がゼロになったとしても積んできた経験値によって行動の質が高い状態で再スタートする事ができる。
それに付け加え筋トレで言えば、マッスルメモリーという言葉もある。
これについては一度つけた筋肉は細胞により記憶されているのでパフォーマンスを戻しやすいという事だ。ただし、このマッスルメモリーも、経験値も、言わずもわかるとは思うが継続した経験を積んでいないと「戻す時のパフォーマンス」も発揮される事はない。
以上の事から、続けてきた結果は何にも変える事ができない自分だけの資産となるわけだが、同時に目には見えない「経験値」も資産となっているわけだ。
経験値は人生を表現するし、様々な物事に活かされる。
経験値のお陰で取り込む価値の質も変わりゆく。
経験値が持てるのはもはや人間が持つ資質と言ってもいい。
そして勿論筋トレ以外にもこの考えは全て適用されることだろう。
「筋トレってやめたら筋肉落ちるから意味がない!」という人へ
ここまで話してきた事を理解して頂けると「筋トレやめたら筋肉落ちるから意味がない」という事はない!のが解るはずだ。
そもそもそんな事を言えば、
「働かなくなったらお金が入らない!」
そう嘆いているのと同じである。
当たり前の話、筋トレやめたら筋肉おちなければ、筋肉の価値観なんてなくなるという話。
続ける証が証明されて、わかりやすい世界だからこそ人間は「やり甲斐」を感じるのだ。
「筋トレしててもやめたら筋肉おちるから意味ないね」
そいう声をたまに耳にするけど,
それって「仕事やめたらお金入らなくなるから意味ないね」ってのと同じだぜまったく。— SR@筋破壊屋(過去殴る) (@srkintore) 2016年5月7日
筋トレやめて筋肉が落ちた経験談
Twitterやこのサイトの更新が度々なくなる現状を知っている読者さんなら察してくれる事だろう。
筆者は多忙な時期に入ると筋トレをやめざるをえない状況になり、ここ10年で4回〜5回は「筋トレやめて筋肉が落ちる」という事を繰り返していると同時に、何度も鍛え直している。
そして現在では「自分の好きな道へ進みたい」想いから仕事を変え、ようやく筋トレに携わり、過去最高のトレーニング記録を出せるようになってきた。
こうした経験値を踏んできたからこそ、
「筋トレやめたら筋肉が落ちるから意味がない!」という言葉にはとことん喝を入れたくなるわけだ。
しかし、例えそのような事をリアルで耳にしたとしてもその人にとって興味がないだけの話なので、我々はひとまず先に進んでいくとしよう。
例え辞めざるをえない時が来たとしても、全力で生きた経験値は俺の人生となっているのだから。
鍛えるにつれ,人はどんどん進化してゆくのだな。
“鍛える”でなくとも前に進む人は進化する。昨日よりも今日
今日よりも明日さっきよりも今。
その調子,常に上り調子。
俺もついていかせて貰うぜ!
— SR@筋破壊屋(過去殴る) (@srkintore) 2016年4月12日
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