突然だが、皆さんは「魔法」という言葉を信じているだろうか?筆者の場合「信じる」という表現よりも、別の考え方で「魔法」という言葉を受け止めている。
今回は「この世界に魔法は存在するのか?」をテーマに記事を書いていきたい。
この世界に魔法は存在するのか?
この世界では現在進行系で人間の更なる進化を願うように、あらゆる分野の「技術」が進化を続けている。
同時に「道具」も人々の効率化を加速させる為に更なる進化を遂げている。
世に開発される道具達はよりコンパクトに、よりスマートに、より便利性を増して進化し続けているのだ。
石器時代から比べると今の時代はまさに「魔法」と言えるだろう。
また、技術や道具が進化すると共に「人の思考」もアップデートされていく。想像できなかった領域が現実化されると、考え方も進化に沿ったものに変わっていくのである。
想像できない事が現実になると進歩の為の一部となる
はるか昔は火、雷、風、水を操るのが典型的な「魔法」と言われていたが、現代では進化してきた技術や道具が、いとも簡単にかつて言われていた「魔法」が実現されている。
過程を踏んだリアルな実現だけではなく、我々が想像していた通りの「魔法(オカルト)」でさえ映画の中、アニメの中で表現され映像となり現実に活きる。
映画や漫画も進化を続け、それはまるで本当に「その世界があるかのように」各々の「世界の表現」は洗練され、ひたすらに進化を続けているのだ。
人が想像する全ては現実に充分に起こりえる事だという事実がわかる。
そしてこれらを実現させていったのは紛れもなく「進化を求め続ける人間の思考」だ。ある者は笑われてきた研究に負けず、ある者は批判に負けず、ひたすらに没頭し「自分を信じる事」ができたからこそ、この世界に「自分の世界」を創造できたのだと考えることができる。
「魔法」とは何か?
上記の事からも筆者が考える「魔法」とは「自分を信じる事ができる力」が「魔法」そのものだと思う。
「自分を信じる事」ができれば「立派な魔法使い」と表現してもおおげさにはならないだろう。
しかし、魔法使いになんて中々なれないものだ。
集団心理が働きやすい日本人だからこそ「自分を信じる事」は難しいのだ。
自分を信じる=思考に描いた世界を実現させる力。
多くの人は「自分を信じる」前に、
誰かの考えの中で生き、
誰かが出した答えを信じ、
世間に流されながら進化を諦めて停滞していく。
そしていつのまにか停滞というぬるま湯に浸かりながら年をとっていくのだ。
どこかの偉人の名言にも「才能は静かな場所で育ち、性格は世の中の激流の中で育つ」と読んだ事がある。
この言葉を解くとすれば、才能は否定される可能性の高い環境下(人のいる場所)では育ちにくく、
「ひとりで没頭するからこそ育つ」ということなのだろう。
なぜひとりで没頭しなければ才能は育たないのか?それは先ほどにも言ったように「他から貰うだろう下手な影響がないから」と言える。
また、性格は世の中の人々の影響で変わり行くという事。世の中の激流の中で育った性格は才能を育てる為には「余計」にもなりやすい。
確実に才能という魔力(自分を信じる力)を伸ばしていくには孤高に溺れるのが手っ取り早そうだ。
さて、ここで朗報。
「自分を信じる力」つまり「魔力」をあげるには「筋トレ」が一番相性が良い。
筋トレは一人で没頭できる趣味であり、身体が温まれば思考にもエンジンがかかり「自分について考える機会」が多くなる。「筋トレメニューを自分で組む事」であったり「自分の食事管理をする事」は明確に「自分のために」実践しているのだから「自分に対して考える機会」が必然的に多くなるわけだ。
筋トは「筋肉をつける事」だけが筋トレのメリットではない。
筋トレをして「自分」に対して考える機会が多くなれば、
自然と結果もついてきて自信がつく。
そうした経験値を積めば「自分を信じる力」に直結する。
筋トレは最高である。
それでは今回はここまで。
今日も良き魔法使いを目指していこう!
本日も良き一日を。
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