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無駄な努力と継続なんて一切ありませんよ?マジで

継続って文字の名の通り継続することで,その力は何倍にも伸びやすく成果を上げやすくなっていくものだと思います。続ける期間が長ければ長い程活きる努力の結晶。
「 生粋の継続力 」
一方で属性が異なる継続力が存在します。この継続が僕にとって「無駄な努力なんて一切無い」の真髄です。
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もう一つの継続力「あるべく継続」
僕の中で「 あるべく継続 」というのが「遠回りして元の道筋に戻る継続」を言います。これは”生粋の継続”ではないにせよ自分自身が理解することで生粋の継続よりも特質な属性を含んだ継続になり得ます。
僕の場合、この後者の「あるべく継続」の上に進んでいる者です。筋トレの継続に何度か休止符を打った者の一人ですから。
それでも努力することで残してきた結果や経験が結局その道筋に軸を戻すのですね。
無駄な努力と継続なんて一切ありませんよ?マジで
先程「遠回りして元の道筋に戻る継続」のお話をしましたが,この「元の道筋」というのが「自分の居場所」。これに関しては「既に出会ってるもの」かもしれないし「これから出会うもの」なのかもしれない。
行動して前に進んでいないと”それ”はわかりません。本当に継続している人ですらその継続の道筋が自分の居場所なのかもしれませんし,それが前兆(ストレッチ)なのかもしれません。
一つ言えることは努力は全ては繋がるということ。「自分が思った以上に素敵な結果になる」ということです。
簡単な例えで言えば
僕は10台半ばの頃ネットゲームに依存してました。しかし,その頃に培われたキーボードで文字を打つ作業は今こうしてライター作業をしている事に役立っています。もう少し突き詰めれば「見てきたゲームの物語的価値」も自分の知らない間にセンスとして使っているのかもしれません。
生粋の継続でなくても努力して来たものは「自分が本当に継続したい道筋で活きる」ということです。時としてあらゆるキャリアが途絶えていた継続の穴埋めをも誇るパワーを誇ってくれます。
しょうもな〜い努力/継続ですら「あるべく継続」のために自分の知らない間に活かされているのですよ。
自分が通ってきた人生を思い返すと自分の経験が誰よりも先生だと言えるのです。研ぎ澄ませば驚く程繋がりますし「無駄なんて無い」って自信になりますよ。
無駄な努力と継続が存在するのだとすれば
無駄な努力と継続があるのだとすれば,それは「自分が無駄と決めた時」です。無駄と決めるのは他人ではありません。いつだって自分なんですよね。
「無駄と思った瞬間全ては無駄になる」
全ては自分次第です。
冒険日誌(まとめ)
「筋トレが自己満足である」とよく聞くがそれを決めるのは他人ではない,自分である。僕にとって筋トレは周りを巻き込み活力を上げることができる良い趣味であると思っている。
writer-SR