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筋トレをやらない言い訳をする人を考察

今回は「筋トレをやらない言い訳をする人」の考察をしていきたいと思います。まず始めに,「言い訳する人」に対して蹴落とすようなイメージを抱えがちですが,その考えも変えていければ理想的だななんて僕は思います。それでは書いていきます。
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他の物事で興味が薄れている
今月せっかく続いていたと思われる筋トレを急に辞める人であったり、「今、忙しくてやってない!」とある日突然忙しくなる人って結構多いものです。人生人それぞれですから仕方がありませぬ。そういった状態って「他の物事で筋トレの興味が薄れてしまっている状態」と考えることができます。
ある人は本当に仕事が忙しくてできていないのかもしれません。そういう時って仕事に対して情熱が傾いているってことですし,プライベートでも仕事の事を考えているのだとすれば,それは「その人にとって筋トレに費やす以上に素晴らしい物事である」と思えます。
「言い訳」というのはあくまで「個人の心を護るためのもの」なのである意味では「もっと夢中になっている事があるんだね」と前向きに受け取るのが良いのだと考えます。言い訳を聞くごとに「続いてないのかよ!」と蹴落とす必要はありません。
まず,どれだけその日を気持ちよく過ごせるか?が自分の継続の質をあげるためには必要な意識です。
「個人としてどれだけ忙しくできるか?が大事だ。忙しけりゃ良ィんだよ。それだけで強くなる。」
二頭だの、三頭だのと
腕うるさい負荷い夜 pic.twitter.com/Z320P7UWvE
— SR@筋破壊屋(おはようアドレナリン) (@srkintore) 2017年5月5日
今の自分で満足してしまっている
「筋トレ」というのは結果がすぐに出ないがため、その面白さを見出す前に他の物事で満足して終わってしまう傾向にあるものです。しかし,物事の必要性であったり面白さを発見できるか否かというのは人それぞれが抱える現状の物語と条件が合わなければ難しい話。
ある時に筋トレすると辛いだけだったのに,その一年後に筋トレをすると「筋トレが面白い!」と思える価値観を抱けているかもしれません。この場合,その空白の1年の中で「必要性」を自然と自分で見つけてきたのだと考えることができます。
人は興味を持たなければ動きません。「筋トレを継続させたい人」がいるのだとすれば「筋トレの魅力よりも,その人にとって楽しい環境」を用意してあげるのが良いのかもしれませんね。しかしだからといって「ここまでやってあげたのに」という押し付けはしないように。
「 時間をつかってくれてありがとう。感謝するぜ相棒! 」
身体全部良きパンプ!
戦場へ戻るぜ! pic.twitter.com/zI0He117Ui— SR@筋破壊屋(おはようアドレナリン) (@srkintore) 2016年12月23日
「やる時間がない」=「必要としていない」
「筋トレをやる時間が無い」の言い訳は言い訳の中でも代表的によく聞く言葉です。それって最初に話した事と同じようなことなのですが「筋トレを必要としていない状態」だと考えることができます。
筋トレってしようとすればできるんですよ。早めに寝て朝起きてやる事を胸にしておけばできますし「道具が無い」というのであれば買えばいいだけですから。今どき24時間のスポーツジムもありますし。
つまり「必要としていないだけ」なんです。
「筋トレが必要である価値観」を見つけることができていない状態,あるいはその人にとっては見つける必要すら無いのかもしれない。だからこそ「必要であることを伝えたいがために強要や共有しようとする事」はカタイ考えであります。そんな時間があるのであれば明日やるトレーニングメニューや食事プランを練る時間にまわした方が良いものです。
我々が見せるべきは,いつだって圧倒的な結果が望ましいのですから。
「 これ以上鏡にうつる”弱い自分”を見るのは飽きたよな。だからやる。それだけだ。」
二頭、熱ノッてきた。
この熱離さん!
寒さ殴る。 pic.twitter.com/hBLsuwB9He
— SR@筋破壊屋(おはようアドレナリン) (@srkintore) 2016年12月13日
情熱と愛がないだけ
例えば言い訳している人を見つけても「それでいいじゃないか」と柔らかく包むのが賢明です。言い訳の全ては情熱や愛が不足してる事から起きる現象ですからね。物事の継続を破棄することも恋人に時間をとらなくなることも,情熱や愛が薄れているからなんです。
ただ,どんな道をすすんだとしても「経験という鍵」を握ることができます。「鍵穴」はいずれ向こうからやってくるのです。
どれだけ自ら成長を望み,現状に満足せず高みを目指せるのか?が大事。だからこそ新しい領域に踏み込むため我々は日々行動するのです。物事の愛が冷めないように。
「その時」ではない人
言い訳はBGMです。
人の言い訳に耳を傾けず,指摘したいのであれば背中で見せるのが賢明です。言い訳に対抗しても温度差を生んだ会話が生まれるだけなのですね。言い換えれば言い訳している人は「まだ、その時ではない人」なのです。もしかするとその他の物事で華を咲かせる人なのかもしれません。
多くは「その時ではないだけ」なのです。
問題はいかに自分が「いつでも応えるために自分自身が動けているか?」なのです。
「 筋トレは”さっきの自分”を超える繰り返しだ。やった時点で,やる前の自分より強ェんだよ。わかるだろ? 」
ハンマーあがりの負荷い朝 pic.twitter.com/wNIFQ2CpFt
— SR@筋破壊屋(おはようアドレナリン) (@srkintore) 2017年5月24日
筋トレをやらない言い訳をする人を考察
「言い訳する人」はその人から放たれる「悔し紛れ」のようにも思えますから,自分との情熱の温度差から「言い訳が嫌いな人」になってしまう人が多いのです。しかし,愚痴グチ言っている暇程勿体無いことはありませんよね。情熱や愛というのはその物事に対してだけではなく,コミュニケーションからも生まれるものです。
言い訳する人は悪ではないのですから,その人に継続して欲しいのであれば,おとしめる必要はないのです。しかし,多くの人は継続という高みから下を見下ろしたいとしています。
先程にも言ったように言い訳する人に対しては「その時ではない人」と受け取り,無理な共有のないコミュニケーションにまわった方が時として「また筋トレしたいな」と思わせることができるのかもしれませんね。
「 筋トレは継続がモノを言う「わかりやすい世界」だ。悪くないぜ? さァ、一緒に高みへ行こう 」
今年の減量で絶対、過去殴る pic.twitter.com/3ZAIwNXzTa
— SR@筋破壊屋(おはようアドレナリン) (@srkintore) 2017年3月23日
それでは今回はここまで、本日も良き1日を。